† ピ ア ノ † 【6】


「・・・サツキさん・・・あの件でご家族から電話が何度も」
「・・・・。」

手渡されたメモ用紙には南病院の病室番号とホテルから飛び降りた女の名前が記されていた。
「・・・どうしてもサツキさんに来てほしいと・・・」
「・・・・。」
サツキの複雑は表情を感じ再び事務所内は静まり返ってしまった。

「・・・わかった・・・」
「・・・おい、わかったって・・・・まさか病院に行くのか!?そんな、無茶だよ、サツキ!」
「そうするしかないだろ」
「わざわざこの騒ぎの中、お前がそこまでする必要なんか無い」
アカとルイは交互にサツキを思い留まらせようとするがサツキは首を振った。
「・・・あれはお前のせいじゃないんだ、お前がわざわざ行く必要なんて無い・・・!」
「・・・・。」
「そりゃぁお前の気持ちもわかるよ、でも行ってどうするんだ!?ただ騒ぎを大きくして、それでいいのかよ!・・・俺達は一向に構わないよ、でもケイさんはどうなるんだ!?ただ騒ぎに巻き込まれて、それでもお前は平気なのかよ!」


「・・・わかったよ、ひとまずおとなしくするよ、それでいいんだろ・・・?」
サツキは皮肉めいた目で周囲の人間を見つめた。サツキ自身も何が最良の方法なのかがわからないでいる。それは誰も同じだった。

「・・・ただ、もし記者会見を開くなら、それはそれで構わないと俺は思うよ、休止しようとしているのは事実だ」
アカは小さく溜息をつき呟いた。遅かれ早かれそれはいずれ誰もが知ることになる。時間の問題だろう。ビルの外、メンバーの部屋の周囲にウロウロしている写真週刊誌系の記者が、たとえ記者会見を開かなくても必ず嗅ぎ付ける。もしかすると既に記事にしてばらまく準備をしているかもしれない。
「サツキは会見に行かなくてもいいよ、俺達だけでどうにかする」
「でもそれじゃ」
「・・・いや、その方がいい」
アカとルイはお互いうなずく。
「・・・kkkが休止する事だけに、きっと会見は終わらないだろ?サツキも行くとなったら・・・」
「・・・・。」
「大丈夫だよ、そんな顔するなよ、な?」
アカは軽くサツキの肩をたたいて周囲の人間に呼びかけた。
「よし、会見の準備だ、サツキは此処に残っててくれよ」



会見が開かれると言う情報はすぐワイドショーの画面に流れる事となった。
テレビ画面の左上にはあるホテルの一室の名称とともに小さく”中継”という白い文字。
サツキを除くメンバー四人がうつむいたままカメラのフラッシュを浴びている。

ルイの父親が経営している病院はちょうどこの街の駅から見て南側に位置している。
ここは南病院。
サツキが腹部を刺されたとき、応急処置はルイの父親が駆けつけ行った。アカがサツキを家に運び、同時にルイの父親も家に駆けつけた。麻酔でしばらく眠らせた後で裂けた腹部を応急的に縫ったはずだ。
サツキは事務所の裏口からアカに支えながら事務所の人間の一番地味な車に乗り南病院へと運ばれ、その後すぐに手術室に運ばれた。

「・・・サツキ君の事だから、どうせまた無茶な事をしたんだろ」
ルイの父親が手術室から神妙な顔つきで現れた。
待合室にはアカとルイがソファに座っていたが彼を見て立ち上がる。
「・・・サツキは・・・?」
「ああ、大丈夫だよ、とりあえず麻酔で眠って貰っている」
一つ、溜息を吐く。
「一番上の、あの病室を用意させるから、しばらくサツキ君にはそこで静かにしていて貰う」
ルイの父親は付き添っていた看護婦に目配せをして二人を院長室へと案内した。
「・・・あの病室、って?」
院長室で出されたぬるめの珈琲を口にしながらアカはルイに訊ねた。
「特別室だよ、まあ、立派な客が入院する所だ、馬鹿みたいに広くてね、だから馬鹿みたいな金持ちだけが泊まる」
「その部屋、というよりも、その階への立ち入りは厳重に管理されているから、しばらくは此処にサツキ君がいるということは秘密に出来るだろう」
サツキは眠ったまま最上階にあるという特別室に運ばれた。まだ目を覚ます気配はない。
「おとなしくしてろって俺も言ったんだよ、でも」
「今度こそ此処で完全によくなるまで泊まってもらうよ」
ルイの父親は眠っているサツキの様子を何度か目で確認しながら呟いた。
ベッドの脇に三人は椅子を持ち寄り腰掛けた。
サツキは死んでいるような、そんな青白い寝顔を見せる。
腕から繋がる複数の点滴チューブがあまりにも痛々しい。
「サツキを刺したっていう、あの・・・」
ルイはサツキが眠っているのを確認して呟いた。

「ああ、217号室の、あの女の子か」
「事務所通して、サツキに来て欲しいって連絡が・・・」
「私もその話は聞いているよ、出来ることなら会わせたくないと思っている」
「そんなにその子の状態って悪いんですか?」
「いや、悪いというか・・・妄想というか・・・私もそういう分野が専門じゃないんではっきり言えないんだが」
ルイの父親はその話題に口を噤んだ。
「怪我自体はね、あの高さから落下して、よく助かったと正直思うよ、数カ所の骨折と傷と」
その言葉を聞いて二人は少し安堵の表情を浮かべた。
「ただ、思い込みがとても激しい、今でもサツキ君は自分だけのものだと毎日毎日」
「・・・確かにあの時もそんな事を口走ってた」
「君達のような人間を、妄想的に好きになる気持ちは私にもわかる、ただ実際にこんなことになってしまうとなると、それはまた別問題だ、それに此処に運び込む時、事務所には沢山人がいたんだろう?やるだけの事はやる、無論念には念をいれるが、サツキ君が此処にいるということが、バレないとも言い切れない」
「・・・・・。」
ルイの父の言葉にルイもアカも何も言うことが出来なかった。
サツキに対する異常な感情。勿論アカやルイも、狂気じみたファンレターを貰ったことがないわけではなかったが実際に行動に出られることは一度もなかった。
サツキだから。
サツキだから、人をそうさせる。

「サツキは、知ってるんだよ、前に此処で親父に言われただろ?サツキ、もうドラムできなくなるかもしれないって、音楽続けられないかもしれないって、その話、サツキは、もう知ってるんだ」
「サツキ君が?」
「・・・俺等に話しているのを、聞いていたらしいんだ、それで、死にたいって、死んだ方がマシだって言って、俺等もバンド休止しても構わないかった、サツキには元気になって欲しいんだよ、それで、今日休止宣言をしてきたんだ、それなのに・・・やっぱり、そこまで悪くなってるのか?サツキは・・・」
ルイはうなだれたまま動かない。言い難そうに父親は口を開く。
「・・・まだはっきりした事は何とも言えない・・・とりあえずあの傷を早く治すのが先だ」
「どうにかしてやってくれよ、親父、医者だろ!?困るんだよ!サツキが元気にならないと・・・困るんだよ・・・!」
サツキはまだベッドに横たわったままだ。
早く目を覚ませばいい。
目を覚まして、またいつものように・・・。

二人は一度病院を後にした。
事務所に向かい、まだそこに残っていたメンバーに軽く話をしようとドアを開けた。

「あ、アカさん、ルイさん、ちょうどよかった!」
事務所の中は相変わらずの騒々しさだった。鳴り止まない電話の音。忙しなく応対する声。それは既に叫び声に近い。
「サツキさんは・・・」
「サツキはとりあえずしばらく入院させることにしたよ」
アカは事務所に入るなりソファに腰を下ろして我慢しきれないように煙草に火を点けた。
「相変わらずすごい騒ぎだな・・・」
周りの喧噪を見回してアカもルイも溜息を吐く。
「・・・中継中からこれですよ!中継前よりもひどくなって・・・もしもし!?はい!?はい!ですからその事に関しては一切お答えできませんと・・・!」
ガチャリと乱暴に受話器を置くその様子からもここにいる人間の全てがかなりのいらだちと疲労を重ねている事は容易に見て取れた。
「・・・ずっとこの状態なんですよ、もう、どうすれば・・・」
しまいには泣き言を言い出す始末だった。
「ったく、泣きたいのはこっちの方だよ・・・」
「そうだ、アカ、ケイさんには連絡したのか?」
慌ててアカは携帯を取り出して部屋の隅に寄り、ケイの電話番号を呼び出した。
時刻は既に夕刻。日はもう少しで沈もうとしている。テレビの中継は中途半端に終わっていた。そこにはサツキの姿はなかった。ケイはテレビの前から離れることが出来ずにいた。アカからの連絡もない。サツキにもアカにもルイにも何度も電話してみたがすぐに留守番電話に繋がってしまう。
夕暮れを過ぎ、夜に向かう窓からの光が冷たい。

突然鳴り響く携帯電話の着信音にケイは飛びついた。
『あ、ケイさん?連絡遅れてごめん』
「サツキは・・・!?」
『・・・記者会見やっている時は事務所の応接室にいて貰ったんだ、でもそのあとちょっと体調悪くなってルイの親父さんの病院に行ってるよ』
「病院・・・?」
アカの言葉が一瞬詰まる。
『・・・あ、ああ、ゴメン、しばらく入院する事になるかもしれないんだ、そうだ、これから俺達そっちに行くから、ね?大丈夫だよ、大丈夫、ね?すぐそっち行くから』

ケイはアカに返事をせず、その直後に電話を切ってしまった。
入院?
どうして?
サツキは・・・。
同じ事ばかりを考えてしまう。
サツキに関する全ての思考が悪い方へ悪い方へとしか向かない事に苛立つ。

アカとルイが家に駆け込んできたのは深夜を既に回っていた。
アカとルイはソファに腰を下ろし呼吸を整える。
「カメラ持った奴ら、きっとこの辺に隠れてるよ、巻いてくるのに時間かかっちゃって、ごめん、本当はすぐにケイさんに連絡すればよかったんだけど」
「・・・それで、サツキは・・・!?」
「しばらく入院する事になったよ、サツキの為にもその方がいいと」
「俺の親父の病院だから、大丈夫、心配する事はないよ」
アカとルイは交互にケイにそう言ったがケイの顔から不安の表情は消えなかった。
「どうしようか、病院に、行ける?ケイさん、すぐ出かけられるかい?」
ルイはそう言いながらケイに一枚の白いプラスチック製のカードを手渡した。
「これがないとサツキが泊まっている病室のある階には入れないんだよ、エレベーターも特別室用に別に作られてる」
「これが無いといくら俺でも入ることが出来ないんだ」
ルイは同じカードをアカにも手渡した。一人一人のカードにそれぞれ違ったナンバーが刻まれている。
「・・・ありがとう・・」
ケイはそのカードを手のひらに乗せ、じっと見つめながら呟いた。

車が病院の門をくぐったのは明け方近く。
サツキを刺したというファンが入院している事を何処からか聞きつけて、病院の周りには不審な車が数台止まっているのが見えた。
「やばいな、もうこれだ」
「アカ、駐車場はあっちに」
ハンドルをゆっくりと回しながら周囲を横目で見ていたアカにルイは窓の外を指さし囁いた。
「・・・そこの影からあの裏口に入ってくれ、そこから7階の特別室まで直通のエレベーターがある」
「わかった」
地下に向かって傾いた、薄暗い通路を静かに通る。一人ガードマンが立っていたがルイの顔を見て無表情のまま扉の鍵を開けた。
「しかし、すごいな、此処の病院は」
背後で扉が閉まる音を聞きながらバックミラーで後ろを見て呟く。
「特別室に入る人間は金も特別に持ってるんだよ、ただそれだけの事さ」
ルイは直通のエレベーターの位置を指し示すと車を止める場所を指示した。
「さ、ケイさん、着いたよ」
「・・・。」
ケイは車の中でも終始無言だった。無理もない。
ルイが先に降り立ちエレベーターのボタンを押した。
七階、特別室までの直通のエレベータは待つ間もなく静かに到着した。

「まず此処にカードを読み込ませて、こうやって」
エレベータの扉が開かれ乗り込むと『7』とかかれたボタンのすぐ下にカードリーダーが備え付けられている。ルイが最初に、そしてアカとケイもそれに習って手渡されたIDカードを滑らせた。
「ほら、そのカメラで人数を確認してるんだよ、もしもカードを持っていない人間が乗っても動くことは無い」
「って事はこれは遠隔で手動操作してるのか?」
「まあそういう事だろうな、多分、知らねぇよ、俺の親父がやることだもの」
「金がある奴の考える事はわからないな、このエレベータに乗る人間をチェックするのに誰か人を一人雇ってるんだろ?」
「・・・三人だ」

まもなくエレベータは7階に着いた。
乗り込んだときと同じようにルイはカードを再びリーダーに読み込ませる。
三人が降りた直後、エレベータは音もなく扉を閉め動きを止めてしまった。

「ここだ」


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