† ピ ア ノ † 【9】

「サツキ、聞いてんのか?帰りたくないだなんて、ふざけた事言ってんじゃねぇよ、お前があの家に帰らないでどうすんだよ、あの家買ったとき言ってたじゃんか、庭だの薔薇だの、無駄にデカい家俺達に自慢してただろ!?お前が戻らないでどうすんだよ!どこだか外国から取り寄せた風呂があるんだろ!?バカみたいな金かけてピアノを二階に運んだんじゃないのか!?お前が戻らないで、どうするんだよ!!」
ケイはルイのまくし立てる剣幕についていく事が出来ずにサツキの言葉を待っていた。

「お前は、こんなところで死ぬのは似合わないんだよ、こんなちっぽけな病院で死ぬなんて、似合わないんだよ!薔薇に囲まれて死ぬって言ってただろ!?部屋にもピアノにも風呂にも全部薔薇敷き詰めて死ぬって言ってただろ!?忘れたのかよ!!・・・何とか言えよ!!」
「・・・・・・・。」

「…親父と準備してくるから、それまでケイさんは此処で待ってて」
「……。」
有無を言わさずルイはケイに言付けると部屋を出ていった。
ケイは振り向かないサツキの後ろ姿を見つめながらルイが口にした言葉を思い返していた。








「ケイ」
ケイを残し、二人きりになった部屋。
サツキが不意に呼びかけた。

「・・・俺と一緒に、死ねるか・・・?」



サツキはゆっくりとその顔をケイの方へ向けた。

サツキの顔はあまりに綺麗だ。
今までに知ったサツキのどの表情よりも悲しそうに微笑むサツキの表情は本当に綺麗だ。
そして本当にサツキはこのまま死んでしまうのだとケイは感じた。






「・・・サツキが望むなら、私は」

私は。
私も死のう。
サツキが望むなら、私は死んだって構わない。




「じゃあ、戻ろう、薔薇が待ってる、アイツらを呼んでくれ」

サツキは固く目を閉じ何度か深呼吸を繰り返す。幸せそうな顔のままで。

慌ただしくルイはドアを開け車椅子を押しながら病室に現れた。その後ろに父親の姿も見える。
「下に車を用意したからすぐに」
ルイはケイに呼びかけたつもりだったがサツキが一言、わかった、と小さく答えたのに驚きながらもそのまま車椅子をベッドの脇に寄せ父親と二人でサツキを乗せるとゆっくりと車椅子を押し始める。
後ろからルイの父親と、そしてケイが少し離れて歩く。
「よかったよ、でも、もし嫌がっても無理矢理連れて行くつもりだった」
ルイは子供のように無邪気にサツキに声をかけたがサツキは返事をしない。
「…少し、頭が痛い」
「無理もないだろう、さっきまで眠ってたんだ、大丈夫、薬の用意もしてきたから」
ルイの父親は後ろから小さく答える。
余所余所しげなその言葉にサツキは再び何も言わず口元に微笑みを浮かべて目を閉じた。
地下の駐車場は相変わらず静まりかえっている。
ルイの父親が運転席に座りルイは助手席からルームミラー越しに後ろの二人の様子を窺った。サツキはケイの肩にもたれ掛かり目を閉じ泣き疲れ眠っているようだ。
ルイは声を出さず父親の顔を見て目で合図を送る。

時刻は昼に刻々と近づく。
地下の暗い駐車場から出た瞬間眩しい太陽を感じ、ルイは再びミラー越しに二人を見たが別段変わった様子も無くサツキは相変わらず目を閉じケイも黙ったまま窓越しに外を見ているようだった。
車の窓には全て黒いシートが貼られて正面からしか内部を伺い知る事ができないようになっていた。眩しい太陽の光も後ろの席にまでは届かない。
サツキの家に向かう途中一度アカから連絡があり、取りあえず事務所には家に一度戻る事を伝えた事、そしてサツキの家は今のところ変わった様子がないということを聞いた。
「混んでなければあと一時間もあれば着くけれど」
ルイの父親は裏道を選びながら車を走らせる。ルイはその言葉を聞きアカに伝えると電話を置いた。

一時間ばかり車を走らせ四人を乗せた車はサツキの家へ到着した。
周りを何度も確認し家の鍵を開ける。
「着いたよ」
ルイはルームミラー越しにケイとサツキの顔を見つめ呟いた。
「それじゃ私は一度病院に戻るから…何かあったらすぐ連絡を」
ルイの父親は一抱えある薬や点滴が詰め込まれたバッグをルイに手渡して再び車に乗り込んだ。
「とりあえずサツキをベッドに」
車椅子を揺れないよう静かに押しながらルイはアカの電話を呼び出した。
「ケイさん、アカがどれくらいでこっちに着くか聞いておいて」
ルイから携帯電話を受け取り呼び出し音が途切れるのを確かめる。
あと数分でこっちに着くらしい。
取りあえず家の中へとサツキを運び入れ、リビングで三人はアカの戻るのを待つことにした。

「こういうとき、この馬鹿でかい家が不便だよな、どうして寝室が螺旋階段の上にあるんだよ、どうしてエレベータ付きの家買わなかったんだよ」
手持ちぶさたな雰囲気をルイはどうにか紛らわせようとする。
サツキは目を閉じたまま口元に笑みを浮かべる。
「いいんだよ、薔薇があれば」
サツキの言葉に再び沈んだ空気がリビングに漂うのを感じてケイはその場にいる事を辛く感じた。
「アカが来たらサツキを上の寝室に運んで」
ルイが言いかけた言葉をサツキは制止した。
「その横の部屋にもベッドがある」
「…って、いくつ寝室があるんだよ」
「ピアノ、が、ある部屋は、一つだけだ」
ピアノ、と言って再び口を閉ざした。

「…あ…私…薔薇、を、摘んで」
ケイはこれ以上この部屋に居ることが出来なくなり引き留める声も聞かずベランダから庭へ飛び出した。

薔薇の庭の周りはぐるりと高い塀で囲まれ外からは庭も家の中も覗き込む事が出来ない造りになっている。ケイはベランダから庭へ降り、傍らにある庭鋏を手にして真っ赤な薔薇を抱えきれないほど摘み始めた。
薔薇を抱えると濃い香りが鼻に届く。サツキがいつも身に付けていた香水を思い出す。甘く苦しい薔薇の香り。薔薇を摘み取りながら自然と涙がこぼれてくる。
少しでもサツキの気が紛れるようにたくさん薔薇を摘んで部屋に撒き散らしてあげよう。
ケイは一本ずつ丁寧に薔薇を切り取ると指先に刺さる棘も気にせず再びベランダからリビングへと向かった。

「ちょうど今アカも戻ってきた」
アカは息を切らしながら家に辿り着いた直後だった。
「サツキは、とりあえずその横の部屋に寝かせたから」
「薬飲んで少し眠るって」
ルイとアカはケイから薔薇の花束を半分ずつ受け取りながらその量に顔を見合わせ苦笑いした。
「適当に、食べる物も買ってきたよ、ずっと何も食べてないんだろう?」
アカが紙袋から飲み物や食べ物をテーブルの上へ取り出しルイは花瓶を視線で探している。
「で、どうなんだ?事務所の方は」
「写真週刊誌がどうのって話はしてなかったよ、ただ」
アカは口に頬張ったサンドイッチに噎せながら話を続けた。
「とにかく事務所の電話は鳴りっぱなし。相変わらずだったよ、サツキを出せって、そればかりだって」
花瓶に入りきらない薔薇をケイは手に取りその花びらを一枚一枚毟り始めた。
「…ほら、ケイさんも何か食べなよ、ね?」
アカは包みを開けたサンドイッチを一つ手に取りケイに勧めたがそれに視線を向けようともせず無心に薔薇の花びらを摘んでいる。
「とりあえず、一段落するまでしばらくサツキも此処にいれば」
一段落、という言葉が重くのし掛かる。
ケイの腰掛けるソファの周りは段々と赤い薔薇の華が敷き詰められていく。

「…ちょうど、嫌な時間帯だな」
アカはリモコンをサイドテーブルの上に見つけると敢えてテレビのスイッチを入れる。
ワイドショーが昨日と変わりなく、KKKの、そしてサツキの話題を取り上げている。チャンネルを変えても画面に映るのは同じ映像。
「いつまで続くんだ」
ルイは溜息を吐きながら呟いた。
アカはそのまま無言で画面を見つめる。
「確かに此処が見つかるのも時間の問題だと思う」
画面の中のレポーターは取り繕った焦りの表情でルイの父親の病院前からレポートを続ける。

『此方の病院にサツキさんが運ばれたという話がありましたが、それについての病院側の回答はなく』
『先日都内のホテルから飛び降りたファンと思われる女性も此方に入院しているとの話は』
『病院前は報道陣とファンと見られる人達でごった返しております』

画面の右上には”中継”の文字。
病院前は酷い人だかりが出来ている。
10分おきに繰り返される病院前からの中継で挟むように”KKKの軌跡”と適当なタイトルの付けられたVTRが流される。
「…笑えるほど、懐かしいな…」
アカは無表情を崩さずに呟いた。
デビューしてからの数年間。発売されたCDの数々。取り上げられた雑誌の表紙。
ケイは黙々と薔薇の華を摘みながら、まるで他人事のようにその話題を眺めているルイとアカを見つめた。
「そうだよ、あの時、本当に嬉しかったんだよ、いきなり事務所に入れるって事が決まってあっという間にCDが売れて、俺の親なんて、コロッと態度変わったんだぜ?それまでは、そんな金にならない事なんてやめて真っ当な仕事をしろって毎日毎日言ってたくせに」
「だいたい、親と話をする時間だってなくなったものな」
「俺の友達だったっていうやつらが異常に増えた」
「そうそう、でも俺等はそいつ等のこと全く知らないの」
「俺の知らない俺の親戚っていう奴等が多くなったよな、よく聞いたら俺の親父のいとこの息子の嫁だったりしてさ、全然関係ねぇのな、全然親戚なんて呼べないような、てかお前誰だよ!みたいな」
「ほら、このアルバム作ってた時なんて最悪だったよ」
ルイは丁度画面に大きく映っていたアルバムのジャケットの映像を指さした。
「そうそう、何日間かサツキと連絡が取れないからどうしたのかと思ってたら、誰にも連絡しないでこの家に引っ越してたんだぜ?レコーディングの真っ最中に!しかも腰だの腕だのが痛いっていうから心配してたら寝ないで薔薇の手入れしてたんだとさ」
「懐かしいな」

「みんなバカだよ」
ルイは煙草に火を点けながら大きく溜息を吐いた。

「俺等はこんなに騒がれるほどのことをやっていたつもりなんてこれっぽっちもなかったのに」

「…サツキも」
ルイの言葉を聞いてケイがようやく口を開いた。
「…普通の…普通の大人になりたかったって…言っていました」
「…俺達だって、同じだよ、そりゃ、KKKやり始めの頃は音楽で喰っていくんだって思ってたのは嘘じゃない、けど」
「結局これからKKKが解散なんて事になっても、”KKKの”っていう下らない肩書きは一生付いて回るんだよな、そう思うと」
「…下らなくなんてないです」
ケイはうつむきながら続ける。
「…KKKの、大好きな、大切な曲があって、それに助けられて、KKKを好きな人はみんな叶わない自分の憧れをメンバーのみんなに重ねて見てたんです、だって、私もそうだったから、新しい曲が発売されるたびCD買いに走って、何度も何度も繰り返し聞いて雑誌も沢山買ってポスターだって部屋に沢山貼って、それで少しでも近づきたくて毎日毎日KKKの事ばかり考えて、あの、飛び降りたファンの女の人の気持ち、解らない訳じゃないもの、あの頃、私だって、サツキが死んだら私だって死ぬんだって、言って」




「駄目だよ、そんな事考えたら」
「でも、そう思ってる女の子は、数え切れないほどいるんです」
ケイが吐き出すように呟いた言葉。アカはケイの顔を覗き込む。

「…もう、やめよう」
ルイはテレビの電源を落とし時計を覗いた。
「辛くなるだけだ」
その言葉に再び三人は言葉を無くす。
「…どうしようか、今日は、俺達も此処にいた方がいいかな、親父は病院が片付き次第こっちに向かうって言ってたけど」
ルイは鳴り響いた携帯を片耳に当てながら言った。
「あ、親父?どうなの?そっちは…いや、見たよ、凄いね、いや、サツキは大丈夫だよ、うん、眠ってる、大体どういう事なんだよ、いや、そうじゃなくて、どうしてそこにサツキがいるなんて事、ああ、いや、別に無理しなくても、どうせ大変なんだろ?大丈夫だよ、こっちは、まあ収まらないだろうな、親父も無理にこっち来なくても大丈夫だよ、とにかくそっちは頼んだよ、そっちは親父がどうにかしてくれよ…ああ、わかってる、大丈夫だよ、大丈夫って言ってんだろ?ああ、それじゃ、また連絡するよ、何かあったらすぐ連絡すっから、俺からの電話はすぐに出ろよな」
ルイは人ごとのように溜息を吐いた。
「まったく…俺達の心配してくれるのは本当にありがたいけどさ…自分の病院だって、大変なくせに」