† ピ ア ノ † 【8】

「・・・どうせ・・・俺らしくないって言いたいんだろ」

ルイは一言呟いた後、助手席に座り不機嫌さを隠せずにずっと車窓から外を眺めている。
アカはエンジンのキーを回しながら窓から射す昇り始めた朝陽に目を細めた。
「だって、そうだろう?どうしてこれが黙ってられるっていうんだ?アカだってそうだろ?昨日の会見の時だって、下らない質問に飛び出したじゃないか、さっきだってサツキの言うこと聞いて真っ先に病室出てったのはアカじゃないか、さっき、お前は俺に言ったよな?”ルイは嫌に前向きに物事考えられるよな”って、言ってたじゃないか、俺だってお前に聞きたいよ、だいたい、どうしてそんなに冷静でいられるんだよ!?」
「別に、冷静な訳じゃない」
「・・・じゃあその冷静なフリするの、やめろよ」
アカはルイのその言葉にキーを手にしていた手を止めた。
「・・・冷静な、フリ、だって?」
「ああ、そうだよ!なんか言いたいことあるんだろ!?はっきり言えよ!」
「それなら、言わせて貰うよ」
アカが車を動かそうとする動作を止めると再び地下の駐車場は静けさに包まれた。
窓を細く開け、ポケットの煙草を取り出し火を点けながら呟いた。
「・・・じゃあ、どうすればいいんだ?俺達は、どうすればいいんだ?ルイは、俺に、何をしろって言うんだ・・・?」
「・・・それは」

「お前にそれが答えられるのか?答えられないだろ!?俺はただずっとサツキの側に付いて元気になれって励ましてやればいいのか?大丈夫、元気になる、大丈夫だ、すぐによくなる、また音楽が出来る、ドラムだってピアノだって、なんだってできる、kkkで新曲を創ろう、そう毎日言い聞かせろって言うのか?泣いてるケイさんの横で、薬でまたサツキを眠らせて完全に元気になるまで手術を繰り返してくれって、お前の親父に頼めっていうのか?お前の言ってる事は結局そういうことだろう?」

・・・解ってる・・・どうすることも出来ないんだ、わかるだろ?

アカは一息でそう言い放つと車のエンジンをかけた。
二人はルイの家に着くまで無言のまま、明け方の、まだ通行量の少ない道路をスピードを上げて走る。
「・・・今日、また事務所に行ってみる、連絡するよ」
ルイの家に着く直前の、アカの沈んだ声。
ルイは振り返らずに扉の向こうに消えた。

ルイの住む家からアカのマンションまではさほど離れた距離ではない。
アカはマンションの駐車場に車を止めると見慣れない車がたむろしているのを横目に階段を駆け上がった。
自宅の電話のランプが点滅を続けている。ふと携帯を取り出すと着信履歴とメッセージが大量に残されている。事務所からだ。一晩中かけ続けていたらしい。恐らく自宅の電話に残るメッセージも事務所の人間からなのだろう。アカは部屋にあがりジャケットを脱ぐとメッセージを聞きもせず全て消去した。勿論着信履歴もすべて。

キッチンから強い酒の入ったボトルを手にとりソファに腰掛けそのままそれを口元に運ぶ。
今は、何一つ、何かを考えられる余裕がなかった。
しかし目を閉じるとわずか数日の間に起こった出来事がはっきりと浮かぶ。

酔っているせいではないだろう。
俺は確かに冷静なフリをしているだけだ。
冷静でいられるはずがない。
冷静でいられる訳がない。
ルイのように純粋に今の気持ちをさらけ出す事が出来ない自分が歯痒い。
俺はその証拠に、酒にでも酔って忘れてしまおうと思っているだけなのだろう。
忘れられるはずがないのに。

ルイとサツキとケイの顔が交互に浮かんでは消える。
ルイの言葉、サツキの言葉、ケイの言葉が交互に浮かんでは消える。
一体この状態を、誰が理解出来るというのだろう。

逃げ出したいと初めて思った。
昨日、kkkを休止する直前みんなで話し合った。
しばらく休止している間、どうせ今までつっぱしって来たんだ、何処か遠くでのんびりしよう、一年や二年休んだって平気だ、のんびり羽根休めしよう、そう話し合ったのはわずか一日前の事だ。
もし本当に音楽が出来なくなったら、俺は一体どうするのだろう。
ケイが呟いた言葉が繰り返し頭の中に響く。
食べていく為の金を気にしている訳ではない。
俺の人生から音楽を失ったら、俺はその直後からどうするのだろう。
どうなるのだろう。

もう二度とドラムが、ピアノが、音楽が出来なくなるかもしれないと宣告されたサツキ。
それをあの時まで隠し通そうとしていた自分。
それがサツキを苦しめていたという事。
サツキが、死のうと思うほど、苦しめていたという事。


死ぬ?
サツキは、死にたいと言っていたという。


俺は、冷静なフリをしているだけだ。

アカは携帯電話を手に取ると数百登録されている電話帳からルイの番号を呼び出した。
呼び出し音がしばらく続いて、不機嫌そうなルイの声が向こうに小さく聞こえた。
『・・・なんだよ』
「ごめん、ルイ、もう一度、病院に行こう、これからすぐそっちに向かうから」
『なんだよ急に、どういう事だよ、どうせまた酔ってるんだろ?』

「・・・これからすぐサツキに会いに行く」
『はぁ?』

数十分後アカの車にルイは乗り込んで二人は病院へと走っていた。
朝陽が昇りきっている。赤信号に舌打ちしながらも徐々に病院へと近づく。
「・・・さっきはあんな事言ってたくせに・・・何考えてるんだ?酒臭ぇよ」
ルイの問いかけにアカは真っ直ぐ正面を向いたままその答えを口にはせずに運転を続ける。
「・・・うるせぇな・・・色々、考えたんだよ」
あとひとつ信号を過ぎれば病院の影が見える場所に車を止め、アカはようやく口を開いた。
「・・・あれから、色々考えた、お前の言う通りだ、ケイさんが言ってただろ?もしも俺が、音楽を続けられなくなったら、じゃあお前がこれから音楽を続けられなくなったら、どうする?俺だったら、死にたいと思うよ、そりゃあそうだ、お前だって、多分そうだろう?聞いたよな、サツキが死のうとしてたって、言ってただろ?やっぱ放っておけない」
「俺だって死のうと思うよ」
「そうだろ・・・?だからこれから俺はサツキに会いに」
アカは初めてルイの顔を見ながら呟いたがその言葉の途中でルイは遮った。
「それって、どういう事だよ!」
「・・・別に」
「もうやめろよ!そういう事考えるの・・・!サツキが、そんな簡単に死ぬわけないだろ!?」

「でも、お前は音楽が続けられないなら、死ぬんだろ?俺も同じだ、俺なら、俺だって死のうと思う」
「だけど・・・!」
「俺は、冷静になれない、だからサツキを引き留める、励ましに行くわけじゃない」

夜明け前に訪れた駐車場に二人は再び車を止める。
一度カードをポケットの中に確認すると無言でエレベータのボタンを押す。
エレベータは相変わらず静かに二人を七階の特別室の階へ運ぶがエレベータのドアが開いたとき一番最初に目にしたのは広い廊下をウロウロと往復を繰り返すルイの父の姿だった。
「・・・親父・・・!」
「なんだ、お前達か」
「どうしたんだよ、サツキは、大丈夫か?何か言ってきたか!?」
ルイの父親は何も言わず溜息を吐いた。
「とりあえず、部屋に行ってみようぜ」
ルイは三人の先頭を切って歩き出す。父親はゆっくりと、アカはそんなルイの後ろから少し早足で病室に向かうがドアを目前にしてやはり躊躇してしまう。
「独りにして欲しいってのは、やっぱり何かサツキ君にも理由があったんだろう?」
躊躇する二人に父親は声をかける。
「私は、賛成できないな、まだ彼らから何か連絡があるまで、このまましばらく様子を見た方がいいんじゃないか?」
「ったく・・・解ったよ!ああ、わかったよ!!」
ルイはアカの手を強く引いて夜明け前に珈琲を飲んだ喫茶スペースへと向きを変えた。

「・・・心配する気持ちも、わかる」
喫茶スペースに今朝は香りのいい紅茶の匂いが広がる。
「どうして、そんなに急ぐんだ?」
ルイの父親はティーカップを口元近くまで持ち上げて、そして呟いた。
「別に、ゆっくり様子を見てやる事くらい、君達には出来ないのか?今なら、時間は沢山あるだろう?」
「・・・だって、アカが、変なこと言い出すから」
「変な事?」
父親は正面に座るアカに今度は視線を向けた。
「アカが・・・アカが、サツキは死ぬ気だなんて言うから・・・俺は、ただ」
「・・・アカ君、どういう事だ?」
アカは父親の正面で、言い出しにくそうにしているが視線を避けるようにして口を開いた。
「・・・アイツが・・・サツキが・・・死にたいんじゃないかと思って」


「死にたい?」

「・・・ああ、サツキは言ってた、音楽が出来ないくらいなら死んだ方がマシだって、ずっと、ずっと前から、こんな事になるずっと前から言ってたんだ、だから、今、サツキは絶対に死にたいって、そう思ってるって、俺はそんな気がして、それで、そう思って、此処に・・・だってそうだろう?何か大事な物がなくなりかけたら、死にたいって思うだろう?親父さんだって、そうだ、そうだろう?ルイや、家族や、大切な物が全部消えてしまったら、絶対に親父さんだって死にたいって思うはずだ、あのホテルから飛び降りた女の子だってそうだ、サツキが自分の物じゃないなら、自分の物にならないくらいくらいなら、死んだ方がマシだって、サツキを殺して、自分も、自分なんか死んだ方がいいって、そう思った筈だ、そう思ってたんだ、そうだろう?サツキだって同じだよ、音楽が出来なくなるくらいなら、死んだ方がいいってずっと言ってた、俺だってそうだ、ルイだってそうだ、今の俺達から音楽がなくなってしまったら、俺も、ルイも、絶対に死を選ぶ、そうだろう?だから、此処に来たんだ、サツキに拒まれても、俺達は、サツキを引き留めに来た」
ルイは小さく頷きながらアカの言葉を聞いていた。

その時。

「・・・ご・・・ごめんなさい・・・」
突然ケイは喫茶スペースに現れた。
「ケイさん!!」
「・・・こんなに・・・みんな心配してくれているのに・・・・ごめんなさい・・・」
ルイとアカはケイに駆け寄った。
父親も立ち上がりケイに柔らかなソファを勧める。
「サツキは・・・?」
「・・・今・・・少し眠ってます・・・さっき・・・みんなの声が聞こえたから・・・それで・・・あんなに心配してくれてるのに・・・ごめんなさい・・・サツキが・・・これ以上みんなを苦しめたくないって・・・それで・・・ごめんなさい・・・」
一言ひとこと区切りながら、ケイは泣き出しそうだった。
「・・・い、いいよ、いいんだよ、大丈夫、謝る事なんてないよ、俺達は、とにかくサツキが元気でいてくれたら、それで」




「動かないんです」

「・・・え?」
三人はケイの言葉に一瞬表情を凍らせた。
「・・・手も、足も、全部・・・身体が・・・動かないって」

「どういう事だ?」
「・・・サツキは・・・絶対にアイツらには言うなって・・・!辛くさせるだけだって・・・!でも・・・でも・・・私にはもう・・・!」
ケイは声を上げ完全に泣き出してしまった。
「わかった、病室に行こう」
父親は誰よりも先に立ち上がった。アカはケイを支えながら立ち上がる。
窓の外、病院の下が騒がしい。朝九時。無理もないだろう。病院の通常の受付が始まる時刻だ。

「まだ、眠ってるみたいだな」
アカは音を立てないよう静かにカードを通しドアを開けた。
ドアの向こうに人の気配が全くしない。
父親は真っ直ぐサツキの横たわるベッドに近づきその寝顔を覗き込んだ後点滴の残りの量を確認する。
アカは泣きじゃくるケイを取りあえずソファに座らせると何も言わずその隣に腰を下ろした。ルイも同様だ。言葉が出ない。
「とにかくサツキ君が目覚めるまで待とう」
三人の方へ父親が振り返った瞬間、サツキの声が小さく零れた。




「・・・此処には・・・来るなと言っただろう・・・?」

サツキはベッドに横たわり、四人とは反対の方向を向いたまま呟いた。
「・・・どうして・・・来たんだ・・・?」
「なんだ、サツキ、起きて」

「・・・言った筈だ、もう誰にも会いたくない」
駆け寄ろうとするケイをアカは引き留めた。




「そんなに、惨めな俺を見たいのか」




「違う、俺達はお前を心配して・・・!」
ルイは叫んだがサツキは振り返ろうともしない。
「・・・同じ事だ」


「お前に、何が出来る?俺に、何をしてくれるんだ?心配しようがしまいが、同じ事だ、お前が俺のこの身体を治せるっていうのか?」
「それは」
「・・・じゃあ、もう構わないでくれ、誰にも会いたくない」

ルイの父親は院長室で内線電話が鳴り続けているのを知り、躊躇いながらも無言で部屋を出た。
病室に残されたケイはソファに座りまだ泣き続けている。
ルイはサツキの言葉に言い返す事が出来ずその場に立ち竦む。
アカはケイを宥めながらも立ち上がりベッドに近づいた。



「・・・帰ってくれ、早く」



「どうしてだ!?どうしてそんな風に言う!?俺も、ルイも、ケイさんも、ただお前に元気になって欲しいだけだ、元気になって、また馬鹿騒ぎするんだよ!また一緒にバンドやるんだろ!?せっかくあんな馬鹿デカい家買ったんだろ!?ケイさんと一緒に住むなんて毎日言ってたじゃないか!どうすんだよ、早く元気になってくれないとこっちも困るんだよ!」

「・・・一緒にバンドだって・・・!?どうやって・・・!?どうすればいいんだよ!知ってんだろ!?見ろよ!腕も、足も、指も、動かないんだぜ・・・!?どうすればいいんだよ・・・!言っただろ!?お前に何が出来るって言うんだ!?・・・薔薇は、ケイに全てやると言った筈だ!あの家に戻る事なんてこれっぽっちも考えてない!!」
サツキはアカの言葉に振り返りもせず叫んだ。肩が小刻みに震えているのが此処からでもわかる。サツキは涙を堪えながら叫んでいる。
「・・・お願いだ・・・そんな風に言わないでくれ、サツキ、俺にも、どうすることも出来ないんだよ・・・わからないんだ、どうすればいいか、俺にも解らない・・・!」
病室に再び沈黙が訪れた。嗚咽を上げるケイの声だけがその合間に響く。

「ルイ、ちょっと」

突然院長室のドアが開き父親が焦りの表情でルイを手招きした。
ルイは父親の表情を知り何も訊ねずに頷くと、何度も振り返りながら父親と共に院長室へ消えた。
「・・・何か、あったのか?」
ルイは大きな机に向かい書類を無言で見つめる父親に不安げな声で訊ねた。
「サツキ君をあの家に一度帰さないか?」
「何があったんだ?どうして」
「・・・サツキ君が、此処に入院している事が知られた・・・らしい・・・だから」
ルイは病院の周辺にうろつく人間の事を思った。サツキのあの家ならまだ周囲には知られていない筈だ。
「詳しい話はわからない、ただ明日発売になる写真誌に載せると電話があった」
「どういう事だ?」
「それが、217号室の、あの女の子が此処に入院してると一番最初に嗅ぎつけた雑誌なんだ、私も、一体どうしてなのか・・・」
「・・・わかった、アイツに話をしてくる」

ルイは院長室のドアをあける。
サツキは相変わらずアカやケイに背を向けた格好でベッドに横たわっていた。
「サツキ、家に戻るぞ」
ルイが発した声にアカとケイは振り向いた。
「どうしたんだ?」
「・・・此処にサツキがいる事が知られたらしい、時間の問題だ、それなら此処よりもあの家の方が」
サツキは何も言わない。
「アカ、お前は先に家に行っててくれ、事務所にも、すぐ連絡してくれ」
「あ、ああ」
「わかってるよ、サツキは二度と帰りたくないって言ってたよな、わかってる、でも俺は引きずってでも連れて行く、ケイさんは俺と親父と一緒に」
「でも」



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